東京高等裁判所 昭和43年(う)2508号 判決 1969年3月18日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中九〇日を原判決の刑に算入する。
理由
<前略>
控訴趣意第二、第三点について
所論は、原判決が原判示第三の電信文を国家公務員法上の秘密に当たると認定したのは、秘密の意義、必要性、立証責任を誤つたものであつて、ひいては、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認法令適用の誤りおよび訴訟手続の法令違反があるというものである。
しかしながら、原判決が判示第三の秘密の電信文につき、それが形式的にも実質的にも、国の電信文であり、秘密指定の手続の相当性等からその実質的秘密性を認定できるものとして、それが国家公務員法所定秘密に当たるとした点は、つぎの点を加えるほか、相当として是認することができる。すなわち、国家公務員法上の秘密を漏らす罪およびこれをそそのかす罪は、いわゆる刑罰法規であつて、罪刑法定主義の精神にのつとり、これを厳格に解しなければならないところ、同法にいわゆる「秘密」がいかなる事項を指称するかについて、内容的にも手続的にもなんら明らかにされておらず、したがつて、なにが同法の秘密であるかについては、所論のような見解もなりたちうるところであるが、他方、行政官庁は、その行政目的を達するため、法律の趣旨に適合し必要かつ相当と認めて、一定の事項を指定して秘密の取扱いをすることができるのであるから、行政官庁がそれにのつとり秘密の取扱いをする旨を指定、表示した以上、その官庁における秘扱いの判断は、尊重されてしかるべきであり、その解除のなされない限り、一応その指定、表示を受けているという事態そのものによりその秘密性の必要性、相当性および要保護性は、充足されているものと解すべきであつて、したがつて、職員が、正当の事由もなく、その内容が秘密に値しないとしてこれを他に漏らすことの許されないのは、もとより当然である。しかしながら、証人山本慎吾の原審公判廷における供述にもあらわれるとおり、行政官庁の秘密扱い文書等についての取扱いは、ときには、しかく厳正に行なわれていないこともありうることなどの事情を勘案し、かつ、秘密が秘密として保護に値するのは、秘密の取扱いを受けるに相応する実質を備えている限りにおいてであるから、秘密の指定、表示があつても、すでにそれが事実上公表され一般人の了知するところとなつたものについてまで、刑罰の制裁をもつてこれを保護する理由も必要性もないのである。したがつて、国家公務員法に秘密を漏らす罪およびこれをそそのかす罪にいわゆる「秘密」とは、行政官庁により秘密扱いの指定、表示がなされたものであつて、その実体が刑罰による保護に値するものをいうと解すべきところ、訴訟法上、右秘密扱いの指定、表示のあつたことについての立証は、容易であつても、それが刑罰による保護に価する実体を備えているものであるかどうかについては、しかく容易ではない。なんとなれば、秘密扱いとされたものが公開の法廷に顕出されることにより、それが公表され、一般人に了知されることによつて、秘密性を失うことになりかねないからである。かかる場合には、それが秘密扱いに指定、表示された必要性、相当性および秘密扱いの実情などを調査検討して、なお、それが実体的真実発見の場である公判廷に顕出できない相当の理由があると認められるときは、原判示のような方法により、それが刑罰による保護に値する実体を備えるものと認定することも許されるものというべきである。しかして、北朝鮮帰還協定交渉関係の交渉の開始から決裂にいたるまでの両赤十字社の方針、経過等は、所論のように、連日の新聞等により報道され、公知のものであつたにしても、外務省において受信した右帰還協定についての赤十字会談に関する原判示の電信文の内容が、外務省によつて公式発表され、それが報道されたものと認めるべき証拠は記録上存在しないばかりでなく、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示第三の秘密の電信文は、その発信人たるソ連駐在の中川大使およびジュネーブ駐在の青木大使によつて、外務省の手続準則にのつとり、「極秘」または「秘」の指定がなされて、三木外務大臣にあて発信され、「極秘」扱い電信文は、高度の秘密性を有する暗号により発信された電信を解読したものであつて、これら「極秘」または「秘」扱い電信文の秘密の必要性、相当性は、いまなお強く維持され、その解除、放棄はなされていないことが認められるから、右電信文を原審公判廷に顕出できないことについて相当の理由のあることが肯認されるのである。したがつて、原判決が、その判示のような方法により、右電信文の秘密性が刑罰による保護に値する実体を備えているものと認定したのは、相当であり、右電信文そのものが証拠に提出されないからといつて、その立証ができないとするわけにはいかないのであつて、もとより所論のように検察官の立証責任を誤解したものではない。所論は、独自の見解に基づき、原判決の適正な認定を非難し、刑事訴訟法違反があるとするものであつて、とうてい採用しがたい。されば、原判決には、所論のような事実の誤認、法令適用の誤り、訴訟手続の法令違反はなく、論旨は、理由がない。<以下略>
(吉田作穂 横地恒夫 金子仙太郎)
<参考> 原審判決の主文及び理由
〔主文〕 被告人を懲役一年に処する。
未決勾留日数中一八〇日を右刑に算入する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
〔理由〕 (罪となるべき事実)被告人は、朝鮮人商工団体連合会商工新聞社の記者をしていたものであるが、かねてから面識のある外務事務官で、外務省国際資料部調査課勤務を経て、昭和四二年三月二四日以降同省欧亜局東欧課において文書係として同課所管の電信文、文書および資料類(秘密扱いのものを含む)の整理、保管等に関する職務に従事していた国家公務員の山本慎吾から、同省電信文、文書および資料類を入手しようと企て、
第一、昭和四一年九月下句頃から昭和四二年九月下句頃までの間、多数回にわたり、東京都台東区根岸一丁目六番四号朝鮮料理店東大門など数箇所において、右山本に対し、酒食や金品を提供し「外事月報や入管情報を入手してくれ。」「電信文を廻してくれ、焼いてしまうのだつたら持ち出してもわからないだろう、なんとかならないか。」「いろんな資料を廻わして欲しい。」などといつて同人の保管にかかる外務省の外事月報、入管情報、電信文、資料などを自己に交付するよう執拗にそそのかし、同人をしてその旨決意させ、よつて同人をして、
一、昭和四一年九月下旬頃から昭和四二年一〇月二四日頃までの間、前後約一七回にわたり、前記東大門、同都台東区上野所在朝鮮料理店牡丹峯および同都千代田区有楽町所在朝鮮料理店南大門において、同人が外務事務官浜田和子、同岡田瑠璃子、同氏井真理子から預り保管中の、外務省において警察庁外事課から配付を受けた外事月報(部外秘)一〇冊位および法務省入国管理局から配付を受けた入管情報(部外秘)四〇冊位を、ほしいままに自己に交付させて横領させ、もつて横領の教唆をし、
二、昭和四二年六月一三日頃から同年一〇月三一日までの間、前後約一一回にわたり、前記東大門、同都台東区国鉄上野駅京浜東北線ホームおよび同都北区西が丘一丁目一五番一五号山本慎吾方において、右山本が業務上保管中の、外務省において受信した北朝鮮帰還協定についての日本赤十字社と朝鮮赤十字会との赤十字会談に関する電信文など電信文多数通(極秘および秘扱いのものを含む)、同省の資料類である第一〇回共産圏情報担当官会議資料(秘)一冊、東欧情報「近東問題に対するソ連の動向(その一)」(秘)、「同(その二)」(秘)各一冊および第八回東欧大使会議議事録未定稿(極秘)、同訂正版(極秘)各一冊を、ほしいままに自己に交付させて業務上横領させ、もつて業務上横領の数唆をし、
第二、昭和四一年九月下句頃から昭和四二年一〇月三一日までの間、前後約二五回にわたり、前記東大門、牡丹峯、南大門、国鉄上野駅京浜東北線ホーム、および山本の自宅において、同人から、同人が横領した前記外事月報一〇冊位、入管情報四〇冊位および業務上横領した前記電信文多数通、第一〇回共産圏情報担当官会議資料一冊、東欧情報「近東問題に対するソ連の動向(その一)」、「同(その二)」各一冊、第八回東欧大使会議議事録未定稿、同訂正版各一冊を、それが賍物であることを知りながら貫い受けて賍物の収受をし、
第三、昭和四二年八月二五日頃からモスクワにおいて日本赤十字社と朝鮮赤十字会との間に北朝鮮帰還協定に関する赤十字会談が再開される運びとなるや、外務省において受信する電信には極秘および秘扱いのものがあることを知悉しながら、右会談再開前の同月中句頃および右会談再開中の同年九月初句頃の二回にわたり、前記東大門において、右山本に対し、「北朝鮮帰還協定交渉関係の電信文が入ると思うが、特にみたいので持つてきてくれ。」「面白いから続けて入れてくれ。」などいつて、外務省において受信した北朝鮮帰還協定についての右赤十字会談に関する秘密の電信文を自己に交付するよう申し向け、もつて国家公務員である右山本に対し、同人が職務上知ることのできた秘密を漏らすことをそそのかしたものである。
<証拠の標目省略>
(弁護人の主張に対する判断)
一、弁護人は、本件横領教唆および業務上横領教唆の客体である文書、資料類および電信文は財産的に無価値で財物にあたらないし、仮りに価値があるとしてもそれは極めて僅少であり可罰的違法性がない旨主張する。しかし、前掲証拠によれば、外務省の右文書、資料類および電信文は、それ自体財物といえるばかりでなく、秘密指定のなされているものについては、それが焼却される以前に他人の手に渡り、そこで利用されることによつて重大な損害を受ける秘密性を帯有していると認められる。してみれば財物罪として刑法的保護に値することは明らかで、可罰的違法性がないとする弁護人の右主張は理由がない。
二、弁護人は、本件において被告人が漏らすことをそそのかしたとされる北朝鮮帰還協定交渉についての電信文の内容は、国家公務員法第一一一条、第一〇九条第一二号、第一〇〇条第一項にいわゆる秘密にあたらない旨主張する。
ところで、行政官庁は、その行政目的を達するため法律の趣旨に適合し必要かつ相当と認めるときは、一定の事項を指定して秘密の取り扱いをすることができ、職員が正当な事由もなくそれを他に漏らす行為は、単に服務規律違反として行政処分の対象となるばかりでなく、秘密指定が、実質的にも秘密の取り扱いをすることが必要かつ相当で、刑罰の制裁によつて保護するに足りる実体を備えている場合には、職員がこれを漏らす行為並びに職員にこれを漏らすことをそそのかす行為に対して刑罰を科することは許されなければならない。しかして、右秘密の指定が刑罰の制裁によつて保護するに足りる実体を備えていることの挙証責任は検察官にあることもとよりであるが、検察官としては、具体的立証の方法として、必ずしも秘密の指定のあつた事項の内容そのままを明らかにしなければならないものではなく、これに代えて、秘密の指定の手続、秘密指定のあつた事項の種類、性質、秘密の取り扱いを必要かつ相当とする合理的な事由等を立証することによつて右指定の実質的秘密性を推認させることも可能であり、このような場合にはとくに反証のないかぎり、立証の責任をつくしたものと解してさまたげない。しかるところ、<中略>「外務省秘密文書取扱規程(昭和三七年一月二三日決裁)」と題する書面、官房長文回章第一〇号昭和四〇年七月一六日付「秘密文書等の取扱いについての事務次官会議申合せの実施について」と題する書面によれば、本件の北朝鮮帰還協定についての赤十字会談に関する電信は、いずれもソ連駐在の中川大使およびジュネーブ駐在の青木大使から三木外務大臣にあて打電されたもので、そのうち「極秘」および「秘」扱い電信については、右両大使によつてその指定がなされたものであること、外務省においては、秘密指定の手続につき、その秘密文書取扱規程および官房長文回章等により「極秘」、「秘」等の指定基準、その指定および解除の決定者、様式、方法など詳細に定めており、特に秘密電信文については、暗号保護の見地等から一属高度の秘密性を保持するため、特別の配慮がなされているほか、ほぼ右規程に準ずる手続が定められていて、本件の「極秘」および「秘」扱い電信は、いずれも右手続に則りその指定がなされ、かつ、解除手続のとられていないものであること、右電信の内容は、「交渉の経緯、内容、情勢判断」、「交渉の技術的方法や具体的態度決定のための請訓」および「右赤十字会談に対する国際赤十字委員会の意向伝達」などの事項に関するものであり、加えて「極秘」扱い電信は、いずれも暗号が使用されていたことが認められる。してみれば、右「極秘」および「秘」扱い電信は指定権者により相当の手続にしたがつて秘密の指定がなされ、かつ、対象とする事項の性質等からみて、特別の事情のないかぎり、これを秘密の取扱いにするについては実質的にも相当の根拠があり、法律の趣旨に違反するところもないことが肯認されるのである。したがつて、とくに反証のないかぎり、右「極秘」および「秘」扱い電信文は国家公務員法第一〇〇条第一項、第一〇九条第一二号にいわゆる秘密に該当するものということができる。
三、よつて、弁護人の反証について考えるに、弁護人は前記赤十字会談については、その交渉の開始から決裂に至るまで、その内容、経過が連日新聞等において遂一詳細に報道され、すでに公知のものとなつていたものであるから、右会談に関する電信文を秘密のものとして秘匿する実質的理由がない旨主張する。
しかし、右会談に関する「極秘」および「秘」扱い電信の内容が外務省において公式発表され、これが新聞等によつて報道されたことを認むべき資料はないから、右会談の内容、経過が新聞等により報道されたからといつて、その一事をもつて直ちに、本件「極秘」および「秘」扱い電信文を秘密のものとして秘匿すべき必要が消滅したとして、その実質的秘密性を否定することはできない。
四、さらに、弁護人は、前記赤十字会談に関する電信は、実質において日本赤十字社代表団長から日本赤十字社長あてに打電されたものであり、国の秘密といえないところ、日本赤十字社は赤十字の最高原則である人道主義の原則に基き在日朝鮮人の北朝鮮帰還義務を行なつてきたものであるから、その交渉に関する電信を秘密のものとして秘匿し、それを漏らすことをそそのかす行為に刑罰をもつて臨むことは許されない旨主張する。
しかし、<証拠>によれば、前記赤十字会談に関する電信のうち青木大使から三木外務大臣あてに打電されたものは、日本赤十字社のまつたく関知しない外務省の電信であり、また日本赤十字社代表団において起草した右会談関係の電信が中川大使から三木外務大臣あてに秘密扱いのものとして打電されたのは、北朝鮮帰還業務が、対外的問題の処理、出入国に関する事務、帰還者に対する旅費の補助などに関し、国の了解と援助がなければなしえない性質のものであり、日本赤十字社においても常に外務省、法務省、厚生省等と密接な連終をとりつつ、その協定の交渉にあたつていたという事情に基づくものであり、そのため外務省においても、その電信訳文を日本赤十字社長のほか、必要に応じ法務、厚生などの関係各省にも配付していたことが認められる。してみれば、右電信はいずれも形式的にはもちろん実質的にも国の電信としての性格を有しており、日本赤十字社の業務の性質だけを根拠に、その実質的秘密性を否定すべきものではない。
五、その他、右電信文の実質的秘密性に関する弁護人の主張は、いずれも理由がない。
したがつて、本件「極秘」および「秘」扱いの電信文は、国家公務員法にいわゆる秘密にあたると認められる。
(法令の適用)
被告人の判示第一の一の所為は包括して刑法第六一条第一項、第二五二条第一項に、判示第一の二の所為は包括して同法第六五条第一項、第六一条第一項、第二五三条に、判示第二の所為は包括して同法第二五六条第一項に、判示第三の所為は包括して国家公務員法第一一一条、第一〇九条第一二号、第一〇〇条第一項にそれぞれ該当するが、右の業務上横領教唆と国家公務員法違反とは一個の行為で数個の罪名にふれる場合であり、右の横領教唆と賍物収受および業務上横領教唆と賍物収受との間にはそれぞれ手段結果の関係があるので刑法第五四条第一項前段、後段、第一〇条により結局以上を一罪として最も重い罪の刑で処断すべきところ、右の業務上横領教唆については、被告人には業務上占有者の身分がないので同法第六五条第二項により同法第六一条第一項、第二五二条第一項の刑を科すべきであるから右刑をもつて刑の軽重を比較し、最も重いと認める右の横領教唆罪の刑で処断することとし、その所定刑期の範囲内で量刑すべきところ、本件犯行の動機、目的については、被告人が黙否しているため、明らかでないが、ともあれ、被告人の本件所為は、我が国の利害に重大な影響をもつ外務省の秘密の文書、資料類および電信文、特に北朝鮮帰還協定交渉についての秘密の電信文を持ち出すよう慫慂し、かつ入手したものであって、その犯情は悪質かつ重大であるといわねばならないところ、本件については、被告人の要求を受け入れた本犯の山本慎吾にも大きな責任があること、その他諸般の情状を考慮して、被告人を懲役一年に処し、同法第二一条を適用して未決勾留日数中一八〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文によりこれを全部被告人に負担させることとする。(昭和四三年一〇月一八日 東京地方裁判所刑事第一五部)